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「知る」と「わかる」の違いと西洋哲学と東洋哲学

「知る」は情報ベースで「わかる」は体感ベース。

富士山の凄さを”知ってる”人は「日本一高い山だよね」と言うけど、”わかってる”人は「あの頂上からの景色ハンパないよね」と言う。

西洋哲学は真理に到達するまでの論理を積み上げていくのに対し、東洋哲学は真理に到達したという前提で解釈していく。

東洋哲学を理解するのには「ロープとヘビ」の話が分かりやすい。

Aさんは「そこの道にヘビがいた」と言う。

Bさんがその道を見ると確かにヘビっぽい物体が動いてるようにみえた。

しかし、Bさんはこう言う。

「ヘビの習性を考えれば、ここにいるわけがない」

Aさんは「いや、あれは絶対にヘビだ!」と。

Bさんは「いいや、絶対にロープだ!」と。

すると、Aさんは「じゃあ、そこにいってロープを掴んできてくれよ」と。

Bさんは口ではロープだと言い張ってたが、内心は「ひょっとしたら、本当にヘビかも…」と思ってたので、ロープを掴みにいけない。

これが「知る」と「わかる」の違い。

その道に出てみて「これはロープだ!」とわかれば、何も怖くない。

が、いくら頭で考えて「ヘビの習性的にあり得ない」と思っていても、いざ目の前にすると足がすくむ。

東洋哲学は「真理に到達した」というとこからスタートするので、みんな口では「オレ悟ったぜ」と言える。

だが、いくら「悟った」ことを論理的に説明したところで、実践できなければ、それは悟ってるとは言えない。

むしろ、「悟った」ことを証明することは不可能に近い。

悟ってる人は何かを証明する必要もないので。

・・・

というメモをスマホに書き残してたんですが、

改めて読んで思うのは「やっぱり、体験し続けていきたいよね」ってこと。

虹プロがいくら話題になっても、実際にみてハマらなかったら、その良さは分からない。的な。

『実際にやってみる。』って大事だし『ハマれるように工夫する。』ってのもめちゃ大事だなと。

ほとんどの人は興味を持っても、実際にやってみないし、やってみたとしてもハマれるように工夫しない。

だから、「そうか!わかったぞ!!」という感覚に到達しないまま終わる。

ちなみに、元ネタはこちら。

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