
「読まれる文章を書こう」という煩悩が出てくる
今日は、少し早いけど書き出していこうと思う。
と思いながら、タイピングを始めたものの、なかなか手が進まない。
こういう日もある。というか、こういう日がほとんどだ。
一筆書きのような文章だけど、自分の頭の中にある言葉を寄せ集めてるので、どうもうまくまとまらない日もある。
今日、うまくまとまってないのには何かしらの原因があるはず。
そう思って、振り返ってみると、ポロポロと出てきた。
・時間帯が早い
・お酒が足りない
・メモ以外のブラウザを立ち上げてる
・読書の時間が少なかった
・「読んでるよ」と言われた
この辺かな。読書時間が短かったのは大きな要因だと思う。
あとは、この駄文が色んな人に読まれてると思うと、急に「読まれる文章を書こう」という煩悩が出てくる。
その煩悩を断ち切るために、こうして毎日文章にして吐き出しているのに、それによって煩悩が増えていたら本末転倒だよなと。
というわけで、この文章は「読んでもらうための文章」ではない。ということを改めて念押ししたいと思います。
そう言いながら、毎日ツイートしたり、トークンハウスのコミュニティメディアにアップするのは、自分を奮い立たせるため。
「読んでもらうため」ではなく「書くため」です。
明日も書くために、今日も書く。そんな意図なんです。
僕は今日も続けます。それは、自分との約束だから。
僕は、割と継続力のある男だと思ってまして、というのも毎月腕立て伏せとスクワットを3000回、かれこれ1年近く続けてます。
ジャーナリングも昨年始めてから、1日も欠かさず書き続けて、今日で317日目です。
腕立て伏せもジャーナリングも、ゴールはありません。誰かに指示されてるわけでもありません。別にいつ辞めたっていいんです。
でも、僕は今日も続けます。それは、自分との約束だから。
他人との約束を破っても、だいたいのことはちゃんと謝れば済みます。
でも、自分との約束を破ると、謝ってもなかなか許してくれません。
というわけで、適当に書き出していたらタイトルが決まりました。
今日は「他人との約束を破っても、自分との約束は守ろう」でいきます。
「自分との約束」の場合は、許す許さないの意思決定が自分にある
そうそう。
「約束を守る」って大事なことだと認識してるじゃないですか?
でも、それって「他人との約束」だけだと思ってませんか?
「自分との約束」は、想像以上に大事ですよ。
だって、先述したけど「他人との約束」は破ったとしても謝れば済みます。だいたい。
それは、許す許さないの意思決定が他人にあるから。
だいたいの人は、他人には優しいです。そんなムキになって怒る理由もないから。期待値も低いし。
でも、「自分との約束」の場合は、許す許さないの意思決定が自分にあるんですよね。
だから、難しい。
自分で自分に謝って、自分に許してもらう。って、大変ですよね。
謝る側が「これくらいなら許してもいいでしょ」と思ってるワケなんで。
そんなヤツ、絶対反省してないじゃないですか。
だから、許せない。どっちも自分なんだけどね。
自分をいたずらに責めるのはDVと同じ
と、いうわけで「自分との約束」は破ってしまうと、かなりややこしい。
だから、なるべく守る。死守する。
それでも、破ってしまった場合は思いっきり許す。即座に許す。
失敗から学ぶのは、成功するためであって、自分をいたずらに責めるのはDVと同じ。家庭内暴力。
自分で自分を責めるのは、ただの自傷行為。そんなのはやめておこう。
「失敗から学ぶ」と「自傷行為」を同じにしてしまうとツラいよね。
でも、大丈夫。
「自分との約束」は守れたら儲けもん。破ってしまっても、秒で許そう。そして、忘れよう。
そうして、「守れたこと」だけを積み重ねていこう。
その積み重ねが自信につながり、次なる「約束」を運んでくれる。