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否定することを否定する理由

否定することを否定する理由

どーも、ゴーゴーケンゴです。

最近、コラムが続いてます。

ここはSEOやキーワードなどを気にせず自由に文章が書ける場でもあり、個人的にはブログよりも好きです。

前回のコラムはこちら。

≫言ってることも、やってることも変わっていくなかで変わらないもの。

では、本文をどうぞ。

世の中は否定したくなる事実で溢れてる

妬み嫉み、やっかみ、生きていると色んな感情に出会いますよね。

成功してる人を見かけると「なんであんな奴が」とか「なんかムカつく」とか。

炎上してる人やその周囲をみると「炎上商法だ」とか「下品だ」とか。

コロナウイルス関連、芸能人のスキャンダル、インフルエンサーの煽り、などなど。

数えればキリがありません。

その度に「うわ、またやってるよ」と辟易する。

そんな繰り返し。

それって疲れませんか?

疲れますよね?

つまり、なにかを否定するというのは、エネルギーが必要なことなんですね。

みんな日常にエネルギーを持て余していて、どこかそのエネルギーの発散場所を求めて彷徨ってるんです。

そして行き着いた先が、スキャンダルや炎上や愚痴というわけです。

ほんと、世の中って否定したくなる事実で溢れてますよね。

でも、それらを否定しても何か得られるの?

エネルギーの使い方もったいなくない?

そう思うわけです。

否定することの、なにが悪いのか?

では、具体的に「否定すること」のなにが悪いのでしょうか?

  1. 費用対効果が低い
  2. 自らの可能性を閉ざす

この2つについて言及していきます。

費用対効果が低い

1つめは、費用対効果が低いということ。

これは、自分のストレスや負の感情のはけ口を「他者を否定すること」に使っても、瞬間の快楽だけで、すぐにまたストレスや負の感情は蘇ります。

つまり、「否定すること」は根本的なストレス解消にはならないということ。

さらに、「否定すること」をSNSなどの第三者から見える場所でしてしまうと、第三者から「この人は否定する人なんだ」と認知されてしまいます。

否定する人の周りに、わざわざ否定しない人は寄ってこないので、自ずとあなたの周りには否定する人しか残りません。

自らの可能性を閉ざす

2つめは、自らの可能性を閉ざすということです。

自分が否定をしたことは、少なからず自分の耳に聞こえてるので、その「否定したこと」を自分でやるのは許されなくなります。

人間は基本的に矛盾を嫌うので「言ってることとやってることが違う」という状態を受け入れ難いんですね。

なので、「否定したこと」の数だけ、行動制限が狭まるのです。

なんだか、もったいない気がしませんか?

つまり、どんか正義感であれ「否定すること」を選択するということは、この2つと隣り合わせなんだと。

ところで、多くの人は正義感から「否定すること」を選択してるように思います。

「こんなことが許されていいはずない!」
「ありえない。考えられない。」
「最低!裏切り者!」

などなど。

もの凄くエネルギー量の高い言葉を発するわけですが、その矛先は誰に向いてるのでしょうか?

十中八九、加害者(この場合における)に向けた言葉だと思いますが、それだけの正義感があるなら被害者に向けてエネルギーを使うほうが、被害者のためになるのではないでしょうか?

被害者は、あなたの正義感を加害者に向けてぶちまけて欲しいと願ってるのでしょうか?

せっかく、人を守るために身につけた正義感を誰かを追い詰めるために使うのはもったいないですよね。

みんな迷惑をかけて生きている

みんな、何かしら迷惑をかけて生きてるし、これからも迷惑をかけるだろうから、自分が迷惑をかけたときに許されやすい環境を作るほうが良いかなって。

周りを否定してカリカリしてると、最終的には自分自身を否定してしまいかねないよ。

自分で自分の首を絞めるのは賢くないなと。

自分の理解に及ばない事象が起こったとしても、反射的に拒絶してしまうのではなく、複数の角度から捉え直してみてみると、ストレスを溜めず正しく扱えるのではないでしょうか?

僕は、そのストレスからくる負のエネルギーを文章に転換して発散してたりします。

とにかく、文章に書き出すと思考が整理されるのでオススメ(それをツイッターにそのまま公開するとかではなく)

誰もが人間なので、愚痴の1つや2つ吐きたくなるときもありますし、批判や否定をしたくなる時もあると思います。

そんな時は、信頼できる、なるべく少人数のクローズドな場でこぼすのが良いかと。

トークンハウスは、そんな場でありたいよね。

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