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ゼロのままで終わらせない。マルチポテンシャライトあるいは飽き性を自覚する人へ。

ゼロのままで終わらせない。マルチポテンシャライトあるいは飽き性を自覚する人へ。

こないだ、尾道でナオさんと晩ご飯を食べながら話していたときの備忘録です。

『ゼロのままで終わらせない』

そんな話をしていたのですが、マルチポテンシャライトあるいは飽き性を自覚する人は意識したいことだなと。

飽き性の弊害

僕も飽き性を自覚する人の一人なのですが、飽き性は使い方次第で薬にも毒にもなるなと。

まずは、その毒についてですが、「何も残らない」というのが一番強い毒ですね。

何事も”ある一定の値”を超えた段階から、熟練度が高まりボーナスタイムに入ると思うのですが、そのボーナスタイムに入る前に飽きちゃうと、何も得ることなく終わってしまいます。

なんだか、ブログにも通じてますよね。

半年〜1年は真剣にやらないと、それが失敗かどうかも分からないと。

3ヶ月で辞めてしまっては、何も残らない。残るのは「3ヶ月で飽きてやめちゃった」という事実のみ。

まぁ、その事実に気づくのも悪くはないのですが、単純に楽しくないよなと。

「また続かなかったな…」と自己肯定感を下げかねないので、それは次の行動の足かせになります。

なので、飽き性の弊害は「何も残らない」ということで、何も残らないと自己肯定感を下げがちなので、次の一歩が重たくなる。その結果、行動できなくなるので、さらに何も残らない。という負の連鎖になるということです。

飽き性を意思決定の軸にするのは、どう?

とは言え、すでに飽きてることを頑張るって、なかなかツライですよね。

「飽きたからやめる!」という意思決定はどうなんでしょう?良い?悪い?

結論からいうと、良いと思います。

「飽き」は感性です。直感。

直感はだいたい正しいので、直感に誠実になるのは大事。

ただ、直感のみで意思決定をするのは、賢くない。もっと言えば、面白くない。

カジノにいって、ルーレットで赤か黒に賭け続けるようなもん。

直感が「赤」と言ってるから、赤に賭けよう。みたいな。

ただの思考停止。それは思考という人間の楽しみを放棄してるだけ。もったいない。

勝率がどうとかの話ではなく、楽しくない。カジノも人生も楽しく遊んでナンボ。

ということで、話がカジノに脱線しましたが、言いたいことは『直感だけでなく、思考も使って楽しもう』です。

「飽きたからやめる!」ではなく、「飽きたなぁ」と感じたら、なにに飽きてるのか?その中でも飽きてない要素はあるか?などの要素分解をしてみる。

そうしたほうが、合理的な意思決定ができるようになる。とか、成長できる。とか、そういうのじゃなくて。

「飽きた!」って感性を、そのままにしておくのは、もったいないよと。もっと、楽しめる扱い方があるよ。と。

ゼロのままで終わらせない

はい、そこで意識したいのが「ゼロのままで終わらせない」です。

言い方を変えると「タダじゃ済まない」「手ぶらでは帰らない」です。

飽き性の人は、行動回数が増えるのが最大の利点なので、そこはそのまま維持しながら、「行動によって何を得たか?」を意識していくのが良いと。

『行動回数x学び=成長』です。

なにかしら学びを得ましょう。成功しても失敗しても、飽きてすぐに辞めても、手ぶらでは帰らない。そういう意識。

じゃあ、具体的にどうすればゼロのままで終わらせないことが出来るのか?

オススメは、ジャーナリングです。日記みたいなもんですが、日記は行動を書き留めるのに対し、ジャーナリングは思考を書き留めます。

その日、気づいたことや学びなど、今感じてることなど、とにかく脳内にあるモヤモヤをすべて書き出します。

紙にペンで書くのが大事です、物理的に残すことでより強く感じることができます。

その日、なにもかもうまくいかなくても、1ページの学びや気づきを勝ち取る。食らいつく。結果が出なくても、せめて学びの1つくらい持ち帰る。そういう意識。

飽き性でもOK。すぐにやめてもOK。ただ、そこから1つは学びを勝ち取りましょう。

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