
「石の精神」をみて感じたこと
今日は「交わらないものを混ぜる」について書いていく。
実は先日から金沢に来ているのだが、21世紀美術館に展示されていた「石の精神」をみて感じたことがある。
「石の精神」とは、スロヴァキア出身の芸術家ヴラディミール・ズビニオヴスキーの作品で、
ゴツゴツした鉱石の上に曲線美のある透明な光学ガラスが乗っている作品だ。
端的にいうと、石の上にガラスを乗せただけの作品なのだが、僕はこれを見た瞬間に美しさを感じた。
それを言語化すると「交わらないものを混ぜてる」からなんだと思う。
伸びシロならぬ”考察シロ”が芸術作品の面白いところ
人工的に作り出された光学ガラスと、自然のまま切り取られた鉱石は、普通なら交わらない。
普通なら交わらないものを混ぜてるから、そこに考察の余地が生まれる。
伸びシロならぬ”考察シロ”が芸術作品の面白いところなのかなと。
ただ、交わらないものを混ぜるだけなら、そこに考察シロは無い。
しかし、この「光学ガラス」は元を辿れば鉱石から作られてるらしい。
つまり、一見すると交わらないものに見える「光学ガラス」と「鉱石」は同じ出身ということになる。
自然のなかで育ったむき出しの「鉱石」に、人知の結晶である「光学ガラス」が乗っかって一体化してる。
根っこを辿れば同じもの。だから、それらを混ぜても調和する。
一見、交わらないものに見えるが、根っこを辿れば同じもの。だから、それらを混ぜても調和する。
人間関係もそうだと思う。
一見、交わらなさそうな人でも、ピンとくるものがあれば混ぜてみる。
ひょっとしたら、思いがけない共通点がみつかるかもしれない。
情報の取捨選択も同じ。
一見、関係なさそうな領域からインプットしてみる。
自分の本業とかけ離れた場所から学んでみる。
そうやって、交わらないものを混ぜることによって、思考の幅が広がる。
そういう大人の嗜みを感じていくのも良いのではないだろうか。