
カンボジアのくまもんです。こんにちは。
愛とか正義とか、ぼくはそういう概念的なことを考えるのがずっと好きでした。今も暇さえあれば考えています。
概念の中でも、特に愛と正義はぼくが惹かれた二大テーマなんですね。
今回は、よくわかんないことを、もっとよくわからなくしていきたいなと思っています。ははは。(すべて個人の見解です)
恋と友情
多くの人が、恋と友情は何かが違うと思っています。
ただその何かはよくわかんない、みたいな。
そこでぼくが「恋と友情ってほぼ同じだと思う」って言ったらどうでしょう?
今までこの話をすると9割の人から速攻で「いやいやいやいや!」という反応がきます。
これを見ている皆さんのほとんどもそんな反応をしているかもしれません。
でも、ぼくはそれでもほとんど同じなんじゃないかなあと思っていたりします。
恋も友情も、「好き」という感情によって引かれて起こる「現象」であって、それ以上でもそれ以下でもないじゃないかなあ。
すると、「いや、この友情の好きは単なる好きで、恋は大好きなんだ!」って思った方もいるかもしれませんが、この「好き」という度合いは友情においても発生するんですね。
たとえば、普通の友達と大親友みたいな感じで。
なので、根本的なところは一緒なのかなあと思っています。
さらに言えば、友情が恋をも包括しているのかなと。
友情は恋よりも上位の概念にあり、友情の一形態として恋も存在していると考えています。
正義と悪
前提として、すべての正義は相対的なものだと思っています。
何を正しいとするかは「人それぞれ」ってことですね。
それを絶対的なものがあるとみなしてしまうから争いが起こってしまうんです。
アサド政権にも、ISにも、ポルポトにも、彼らなりの正義がある。
傍から見ればどんなに不合理なものであったとしても、自分の中でそれが正しいと思えば、それが正義になるのです。
だから「どちらが正しいか」と争っても意味がないんですね。
それぞれがそれぞれの論理でもって正しいと思っているから。
逆に、悪には絶対性があるのかなあと思っていたりします。
だから「人はなぜ人を殺してはいけないのか」というよくある命題に対して「殺してはいけないから」と答えても妥当なのかなあと。
こういうのを「定言的命題」って言ったりするんでしたっけ。確か誰かも「ア・プリオリ」っていう呪文みたいなこと言ってましたよね。
よくわからないですけど。
愛と人道主義
そして最後に愛。
愛はよく「恋愛」みたいに恋と並列的に用いられたりすることが多いですが、ぼくの中では明確に違うんですよね。
もっともーっと広いというか。
恋も、友情も、善も、悪すらも、すべて飲み込んで存在する最上位の唯一無二たる概念、それこそが「愛」だと思っています。
愛は、「無条件の需要」。
その人がどんなにどうしようもない人であったとしても、それこそ血も涙もない大量殺人犯であったとしても「受容する」こと。
さらに無条件なので、全人類すべてにこの論理を適用すること。
キリストが右の頬をぶたれたら左の頬も差し出せっていうあれこそが、愛なのかなと思っています。
もちろんこれはスーパーハードだと思うんですけど、これを全人類が希求すること、それこそが「人道主義」とよばれるものなのかな。
なーんて。