
依存症とは「やめたくてもやめれない状態」
思考も摂取してばかりだと身体に良くない。ちゃんと消化しないと。
というわけで、今夜はだいぶ遅くなったけど、書き出していく。
テーマは「依存症と投資について」だ。
依存症とは「やめたくてもやめれない状態」のことを指す。
アルコール、ギャンブル、薬物、スマホ、Netflix、仕事、人間関係などなど。
この「やめたくてもやめれない状態」が、健全じゃないことは誰でも理解できる。
だけど、頭で理解したところで「やめたくてもやめれない」のだから、困ったものだ。
この「やめたくてもやめれない」を、別の視点からみてみる。
「取り返しがつかない」と思うから捨てれない
類似する感情で「捨てたくても捨てれない」があると思った。
思い出の品や、「いつか使うかも」って思うモノなんかが「捨てたくても捨てれない」ものだと。
なぜ、捨てれないと思うのか?
それは「取り返しがつかない」と思ってるからだ。
一回、捨てたら二度と戻ってこない。と。
いつか使うかもしれないのに、捨ててしまったら、その”いつか”が来たときに取り返しがつかない。と。
そんな深層心理があるのだと思う。
でも、本当に取り返しがつかないのだろうか?
これまでに、「捨てたくても捨てれない」モノを捨てて、取り返しのつかない経験をしたことは何回あるのか?
実際、「取り返しがつかない」と思っているだけで、十分に取り返せてるはずだ。
一度でも罪を犯したら人生終了なのか?
酔っ払って財布を失くしたら人生終了なのか?
思い出の品を捨てたら人生終了なのか?
「取り返しがつかない」というのは、その瞬間にそう思ってるという感情の話であって、
その先の人生で「取り返すための行動」をしていくのは可能だ。
「いくらでも取り返せる」と思えたら、物を捨てることなんてカンタンな話だよなと。
つまり、ここまでをまとめると、
「捨てたくても捨てれない」は「取り返せない」と思うから、捨てれないのであって、「取り返せる」と思えれば、執着心を手放せるので、カンタンに捨てれる。
という話だ。
致命傷を負わないためにも、適度にミスっておくのが賢い戦略
ここで、本題の「やめたくてもやめれない」に戻して考えてみる。
「やめたくてもやめれない」と思うのは、「やめたら取り返しがつかない」と思ってるからなのでは?
仕事を例にすると、わかりやすい。
転職を考えてるとする。
「今の会社を辞めて、新しい会社を探す」という選択肢を取れる人と、取れない人の違いは「取り返せる」と信じてるか、どうかだ。
取り返せると信じてるなら、辞めることに躊躇しない。だって、失敗しても取り返せるから。
でも、「一回ミスったら終わり」と信じ込んでる人は、辞めれない。
「行動しない」ということが、「ミスらない」ために最も合理的な判断になるから。
でも、結果として「行動しない」は一番ミスる選択肢だから危険だ。
ミスっても行動したほうが、行動しないより、長期的なダメージは少ない。
致命傷を負わないためにも、適度にミスっておくのが戦略としては賢いと思う。
と、ここまでをまとめると、
「やめたくてもやめれない」をやめるには「やめても、どうせ取り返せる」と腹落ちすることと
「小さな傷を負うことは致命傷を防ぐために重要」と理解するのが大事。
という話だ。
で、最後にそれが投資とどう繋がるか書いていく。
リスク分散とは「依存先を増やすこと」
投資の世界で「卵は1つのカゴに盛るな」という言葉がある。
これは「リスク分散しようぜ」という意味なのだが、リスク分散とは「依存先を増やすこと」だと思っている。
これは資産に限らず、仕事や人間関係においても言えることだ。
「依存先を増やすこと」は「こっちで生きていけなくても、あっちに行けばいいや」と思えることだ。心の余裕ができる。
学校でイジメられると辛いのは「それでも学校に行かなきゃいけないと思ってしまう」からだ。
嫌なことはやめればいい。でも、やめるという選択肢がない状態で、問題に直面するから苦しくなる。
依存先が1つしかないから「取り返しがつかない」と思ってしまうのだ。
だから、投資する。お金を増やす投資じゃなくて、依存先を増やすための投資だ。
職場、オンラインサロン、家族、恋人、幼なじみ、学生時代の友人、ビジネスパートナー、ラーメン屋の大将、スナックのママ、
依存先を増やすことで、1つに依存しなくて済む。執着心を手放せる。それが健全だ。