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生きがい不足の時代に突入するという話

生きがい不足の時代に突入する

今日も懲りずに湿っぽい文章を書く。

「生きがい不足の時代に突入する」という話について。

僕は、僕が生きてる間に「生きがい不足の時代」が来るんだろうなぁと思ってる。

キーワードは「最適化社会」と「超高齢社会」と「個の活躍」だ。

ひと昔前の「草食系」とは、また違う。

もう、ほとんどの日本人は生きがい不足に頭を抱える日がくるんだろうなと。

まだ、自分の中では感覚的な理解しかないが、この機会に言語化して整理したいと思う。

最適化社会が完全に到来したら、もはや資本主義じゃなくなる。

1つ目のキーワードは「最適化社会」

これは、「アフターデジタル」と「ホモデウス」いう本を読めば一発でわかる。

要は「アマゾンみたいな巨大企業が、購買データだけでなく、あらゆるデータを吸い上げて、人間の行動を予測し、最適化された人生を提供する世界」がくるって話。

孫正義が「AIは推論だ」と言っていたように、大量のデータから弾き出される推論は、ほぼ予言と変わらない。

「10分後に、この辺のエリアで配車のオーダーが入るから、スタンバっといたほうがいいよ」とUberはドライバーに教えてくれる。

「この人は毎月ビールを2ケース頼む」というような情報を全国民から吸い上げられたら「年間のビールの消費量」が予測できる。

企業はそのデータにあわせて最適な数のビールを作ればいい。在庫リスクはゼロだ。

ペイペイとか楽天ペイとかLINEpayとか決済アプリが覇権争いにしのぎを削るのも、すべてはデータのために。

「この人はこういうタイミングでこれくらいお金を使うよ」という情報が分かれば、モノは売れる。つまりお金になる。

僕らユーザーからすれば、世の中が加速度的に便利になっていく。だから、受け入れる。

今まで、ツタヤにいって1泊2日でビデオをレンタルしていたのが、月1000円で見放題になれば、そっちのほうが便利だ。

Netflixさえあれば、一生分のコンテンツを消費できる。

最高だよね。そう、最適化社会になればユーザーは恩恵を受ける。だから、進む。

企業はどうだ?GAFAとかBATとか巨大企業が国家を超えて影響力を持つ。

国家VS巨大企業。そこに共存はあるのか?わからないけど、まぁすでにそういう流れは感じる。

細々とやっていくか、巨大企業に買われるか。

最適化社会が完全に到来したら、もはや資本主義じゃなくなる。完全体の社会主義。

企業間の競争とかはなくなって、数社独占。それを防ぐための独禁法。国家の壁。

まぁ、なんだっていいけど、僕ら視点でみれば世界が便利になっていくことに違いはない。それの是非はさておき。

2060年には65歳以上の人口の割合が約40%に達するみたい

で、2つ目のキーワードは「超高齢社会」

超高齢社会とは、65歳以上の人口の割合が全人口の21%を占めている社会を指すらしい。

日本は、1970年に「高齢化社会」に突入して、2007年に超高齢社会へと突入したみたい。

そして、2025年には約30%、2060年には約40%に達するみたいよ。

みんな、おじいちゃんおばあちゃんになって体力もなくなっていって、少子化で若い世代もいないから、労働者もいない。

働く人が減るから、国家の収入も減る。国家の収入のほとんどは税金だから。

国のお金もない、おじいちゃんおばあちゃんは増える、働く人も減る、ちなみに、国家の支出の大半は社会保障。

割とヤバイ状態だと思うけど、そういう時にテクノロジーは進化する。

テクノロジーの進化によって「最適化社会」になっていくと、超高齢社会もなんとかなりそう。

というか、なんとかなってほしい。

「一人で生きていける」ということは、「二人で生きていく必要性が弱まった」ということ

で、3つ目のキーワードは「個の活躍」

副業解禁とか働き方改革とかYouTuberとかブロガーとか、個人で稼ぐ手段が激増したのは周知の通り。

かくいう僕も、その恩恵を受けたうちの一人だと思ってるけど、良いことばかりなのか?

個人的にはあざますって感じだけど、あえてネガティヴな側面をみてみる。何事も表裏一体。

「一人で生きていける」ということは、「二人で生きていく必要性が弱まった」ということでもある。

「個人で活躍できるようになった」ということは、「集団で活動しなくても良くなった」ということ。

選択の自由があるのは健全だけど、社会全体としてみたときに「連帯感を失う」というのは大きな損失だ。

人は一人では生きていけない。それは物質的にというより、精神的にのほうが大きいと思う。

活躍してる個人が自殺をするというのは、ひと昔前では考えにくかった。

生きがいを見つけないと、ゾンビになる。

まとめると、「超高齢社会」と「個の活躍」によって「最適化社会」が加速する。

そこで浮き上がる問題は「生きがい」だ。

朝から晩までNetflixを見て生きていける生活は、たしかに贅沢かもしれない。

だけど、それは「現実逃避」というスパイスが掛かってるから美味しいのであって、

一生、Netflixをみる生活が「現実」になれば、そこから逃げたくなるだろう。

おじいちゃんになって、お金も時間にも余裕が出来たとしても、健康的な身体がなく、一緒に遊ぶ仲間がいなければ、そこに幸せはないだろう。

個人で稼げるようになって、チヤホヤされるようになっても、本音をさらけ出して、苦楽を分かち合う仲間がいなければ、虚しくなるだろう。

お金がなくても、幸せに生きていけるようになった世界で、渇望するものは「生きがい」だ。

それは、崇高なビジョンでなくても良い。庭の草むしりでも良い。

生きがいを見つけないと、ゾンビになる。

それなりに豊かに生きていける。だけど、それは60〜70点であって、90点ではない。

90点を目指すなら、生きがいは必須。

しかし、富や名誉といった、わかりやすい生きがいはレッドオーシャンだ。

もっと陰湿な、誰からも注目されない生きがいを見つけよう。

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