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「僕の人生」という映画を観てるボク

「僕の人生」という映画を観てるボク

毎週、このトークンハウスのコミュニティメディアで1本記事を更新してるんですが、

テーマは特に決まってなくて、SEOを意識することも、大勢に読んでもらうことも意識せず、特に主張したいこともなく、

ただただ、自己満足の文章を書いています。

そこで今回は、哲学の話をしていきたいなと。

「私」とはなにか?

ヤージュニャヴァルキヤというインドの哲学者が「梵我一如」という言葉を残してるんですが、その話を。

ちなみに、ヤージュニャヴァルキヤは釈迦よりも前の人なので、ほんと哲学の源流みたいな人です。

で、その「梵我一如(ぼんがいちにょ)」とは何か?

『世界の原理(ブラフマン)と私(アートマン)は同じだよ。』です。

よくわからないですよね?

ここの理解を深めるために、『私とはなにか?』についてみていきましょう。

みなさんは「私」ってなんだと思います?

そう聞かれると難しいですよね。

だって、今この鏡に映る自分こそが「私」だろと。

この目・鼻・口・輪郭は、どうみても「私」じゃないかと。

じゃあ、全身整形して外見が変われば「私」じゃなくなる?

そんなわけないですよね。

じゃあ、「私」とは「心」か?

「心」って、心臓?脳?どこにあるんでしょうか?

なんだか、よくわからなくなってきますよね。

ここでは「私=心=有意識」と解釈します。

有意識というのは、無意識の反対ですね。

では、なぜ有意識(私)は存在するのか?

なぜ、有意識(私)は存在するのか?

有意識というのは「無意識の処理のラベリング」です。

脳には無数の神経細胞(ニューロン)があり、それらが発火することで、情報伝達を行っていると。

ただ、膨大な処理が行われるため全てを有意識として捉えようとすると脳がパンクします。

なので、無意識の処理の一部を有意識として認識していると。

では、有意識はなぜ必要なのか?

これは、「エピソード記憶」のためと言われてます。

エピソード記憶とは、「個人が経験した出来事に関する記憶」のことで、この記憶が人間には備わってるので、虚構により人類が繁栄したと。

サピエンス全史でも言われてましたね。虚構が人類をつくったと。

動物にはこのエピソード記憶は基本的にないと言われていて、意味記憶だけだと。

意味記憶とは「ライオンには近づくな」的なことです。人間に当てはめるなら「赤信号は止まれ」的な。

もし、人間が意味記憶しかないとどうなるか?

認知症のような状態になると言われています。

で、このエピソード記憶のために有意識が必要になったと。

なぜなら、有意識がなければ、膨大な量の無意識の処理をすべて時系列で行うので、脳がパンクしちゃうんですね。

そこで、膨大な量の無意識の処理をラベリングして有意識として認識すると。

そうすることで、エピソード記憶に繋がるんですね。

有意識の前に無意識が反応してる

ここで面白い実験があるのですが、「指を動かそう」と思ってから指を動かした時に、どんな反応が取れたと思います?

普通は「動かそうという有意識」→「指が動く」だと思いますよね?

実際は「無意識の処理」→「動かそうという有意識」→「指が動く」なんですね。

つまり、自分で「指を動かすぞ」と思う直前に、無意識の処理で「指を動かす」という指令が出てるんですね。

これを、受動意識仮説というんですが、要するに「自分の意識よりも前に無意識が動いてる」という話です。

例えるなら、

映画=無意識
映画をみるボク=有意識

です。

そう考えると、面白くないですか?

普段、僕らがみてる現実は「映画」なんだと。

あくまで、その「映画」をボクという有意識が観てるだけだと。

まるで、マトリックスの世界ですよね。

みんな培養液に浸されてクダに繋がれて夢の世界を見せられてる感じ。

そう思うと肩の力が抜けますよね。

一体、自分は何を焦って、苛立って、不安がって、恐れてるんだ?と。

ヒドイ映画をみて、その主人公に自分を重ねて絶望してる感じ。

いや、気持ちは分かるけどさ、映画じゃん。君は観客だから。なんでそんな感情移入できるの?みたいな。

つまり、「確固たる自分」というのは「有意識」という人間の機能の一部でしかないので、もっと都合よく解釈して人生楽しもうよと。

参考文献(アマゾンに飛びます)
≫脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説

≫史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち

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